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【 アユタヤー王朝の創設者ウートーン王が建立した寺院 】 |
島外、島の南東方に位置する巨大な仏塔がある重要寺院。ウートーン王が、アユタヤーに都を移してすぐ(1351年)に建立されたと伝えられている(資料により1357年とするものがある)。ウートーン王は、本堂と荼毘に付したチャオケオ・チャオタイの遺体を納めた仏塔を建立してワット・パーケオと名付けた。地元ではワット・ヤイ(「大寺院」の意)と呼ばれていたが、その後、ビルマ(現ミャンマー)から独立を回復したナレースアン王がこの寺に仏塔を建立しワット・ヤイ・チャイ・モンコンと名称を変更した。高さ72mの大仏塔は見ごたえがある。
寺院へは駐車場から入ることになる。タイ人の入場料は無料、外国人は有料だ。タイの人たちは素通りしていくが、寺の入口にチケットの販売所があるので注意。 |
[ 創 建 ] |
1351年直後? |
【 データー 】 |
[ 所在地 ] |
(ムアン・)プラナコーン・シー・アユタヤー郡、島外 |
Outside Island, A. Muang |
ข้างนอกเกาะ, อ.เมือง |
[ オープン ] |
08:00~17:00 |
[ 入場料 ] |
20B |
[ 交 通 ] |
チャオプロム市場からトゥクトゥクで約10分。 |
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↑塔内に安置されている仏像。 |
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大仏塔 < Great Chedi > |
この大仏塔はそのスタイルから創建当時のものではなく、後代(アユタヤー時代末期)に改築されたものだと想像されている。高さ72m。 |


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回 廊 < The Boundary Wall > |
以前は屋根付きであった。 |

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本 堂 < Vihan > |
外壁は崩れて残っていない。15.30×39mの大きさがある。 |

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涅槃物 < Reclining Buddha > |
この涅槃物は創建当時のものではなく、後日復元されたものだ。 |

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鼓 楼 |
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シティチャイの祠
< The Shrine of the Spirit Chao Pho Sitthichai > |
シティチャイ王子母子を祀った祠。母とは、ラマ5世のスナンター王妃のこと。1890年、王妃がバーンパイン宮殿で舟遊びをしている時に船が転覆してしまった。当時は身分の低いものが高貴な人に触れることができなかったため、だれも王妃を助けることができずに溺死してしまった。伝説によると、その時王妃のおなかの中に王子(シティチャイ王子)がいたことになっており、亡くなった王妃と共に祀られている。そのため、祠の中には多くのおもちゃが供えられている。 |
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布薩堂 < Ordination Hall > |
15.90×44mの堂。この場所でプラ・ティエンラーチャー(後のチャクラパット王)たちが、シースダーチャン王妃とウォーラウォンサーティラート王から王位を奪い返そうと作戦を立てたところと言われている。 |

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↑ナレースアン王像 < Statue of King Naresuan > |
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ナレースアン王顕彰公園 < A Garden in Honor to King Naresuan the Great > |

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